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August 08, 2014

試料採取

140808

久しぶりに地質調査の書き込み.
関東山地三波川変成岩類北縁部の追加試料採取.画像は,パラゴナイトの包有物を持つざくろ石斑状変晶を持つ泥質変成岩の露頭.周りの泥質変成岩類より雲母のK-Ar年代が5Maほど古い.こうした泥質変成岩は,温度上昇時の状態が残っているので,変成度は高め,年代は古めに出るものと考えられる.これがカード・シャッフル構造とよばれるものの正体の一つ.

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August 03, 2014

書評 「地震予知」の幻想

黒沢大陸・著: 「地震予知」の幻想

 著者は火山学専攻の朝日新聞記者で,3.11に関連したルポとして,ジャーナリストの方だからこそできる,いろいろな現場の空気や関係者のインタビューの内容を知ることができる.この本は科学史にとっても重要な記録となるものと思う.以下に,読後に考えたことを少しまとめておきたい.
 今村明恒による関東大震災の予想以来,地震学者の目標としても,社会的な要求としても,「地震予知ができるのではないか」ということは常に考えられてきた.地震予知ができれば,たくさんの人命と社会資本が助かるから,地球科学の使命と考える人がいてもおかしくはない.
 現在の地震予知のルーツとなった地震予知計画のブループリント作成の頃は,地球科学の中心理論となるプレート・テクトニクスの構築が始まっていた時代であった.「地震がなぜそこで起こるのか」ということは,それまでは曖昧な説明しかできなかったが,プレート・テクトニクスではそれが明快に説明できた.普通,物理学では,自然現象を説明できるモデルができれば,そのモデルに基づいて,その現象についての予測・予知ができると考える.例えば,物体の運動についてF=maという式でモデル化ができれば,未来の物体の運動を計算して予測することができる.基本は物理学者である地震学者が,将来は予知可能と思ったのは自然な流れであった.本書の,地震予知の「幻想」というタイトルは,まさにこの部分を表現していると考えられる.当時の関係者で存命の方は少ないが,予知可能性についてどのように考えていたのか,掘り下げる調査が欲しいところである.あるいは,この仕事は科学史家がやらなくてはいけないことかもしれない.
 残念ながら,地震学者の期待と異なり,地震は単純な物理学モデルで近似できるような対象ではなかった.前に書評で書いた金森先生の「巨大地震の科学と防災」で示されていたように,同じプレート境界型地震でも地域によって地震の性質は違っていて,単純なモデルでは説明できない.地球を作る岩石は,複雑な組織・組成・物性を持つもので,それが変形・破壊されるときの物理学も簡単ではない.地球物質の性質は,その化学的な性質の幅や経てきた歴史によって変わるから,物理学だけでなく,地球化学,地質学などの知見を総合しないと得られない.20世紀の間は,これらの学問間の総合化は不十分で,地震の物理学的なモデルは予知が可能なレベルには達しなかった.
 都城先生の分析では,地球科学は「複合構造理論」の特徴を持つとされていて(都城,1998),複数の分野の理論を総合して,地球という惑星を理解・説明しようという科学のはずである.都城先生の活動した時代は,地震学と地質学の間に高い壁はあったものの,現在と比べると未分化で,当時の研究者は幅広い興味関心や知識を持っていた.例えば,杉村 新先生は,地質学者であっても,地球物理,火山,岩石学のデータをコンパイルして,日本列島の地球科学的な描像に迫っていた.また,1960年頃には,総合化して「固体地球科学研究所」という1つの共同利用研究所を作ろうという考え方もあった(宮下ほか,2011 ).しかし,本書を読むと,現状では,地球物理学,歴史地震学,津波,地質学などの研究者が,蛸壷化したそれぞれの分野の中で活動していて,互いに,自分の専門以外の別の分野に無関心であったことがよくわかる. 
 ただ,地震予知に関しては,本書で詳しく紹介されているように,そのような総合化ができて,ある程度のレベルのモデルが作れたとしても,予測あるいは予知の要素である場所・日時・規模は,確率的に決まるパラメータてあるので,そもそも予測・予知をすること自体がナンセンスであるという考え方もある.鉛筆に,その強度を超える力を加えれば折れるにきまっているが,いつ,どのように折れるかは計算ができないのと同じだというのである.
 ところが,学問分野での検討とは乖離した形で,「地震が予知できるかもしれない」ということに対する期待は大きくなってしまった.本書を読むと,一般社会では,東海地震の予知を前提とした大震法の制定以降,そうした考え方が広まったことが分かる.一般の人には,大震法の対象である東海地震と,対象外の地震の区別はつきにくい.切迫している東海地震でお金をかけて予知できるようにしているから,その他の地震もお金をかけて観測網を整備すれば予知できる,というのは当然の考え方である.本書の中で描かれている政治家や地震予知にかかわらない行政関係者の反応は,そうした考え方の延長にあると思われる.
 社会に与える影響が大きい分,地震学者に対する社会の期待は大きかった.地震学者たちも,期待に応えるべく研究を進めてきた.だが,2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)については,予知どころか予測すら出されていなかった.災害は,いつも新しい顔をしてやってくる」というが,地震学者にとって,東日本大震災は,「新しい顔」をしていたのだろうか? 本書では,東北沖の太平洋プレートの沈み込み帯では,宮城県沖などのM8程度の震源域に分かれてプレート境界型の地震が起きるというモデルのみを考えていて,これらの震源域が連動して動くというモデルは想定していなかったということになっている.しかし,東大のゲラー教授も指摘しているように,東北地方の歴史地震記録や,2004年のスマトラ沖地震などの巨大地震の経験から,複数の震源域が連動して動くことはある程度想定ができたはずである.
 本書の冒頭で描かれているように,地震学者たちが,前述のような足元の危機に気づくことができなかった不明を恥じて反省したのは,その通りなのだろう.だが,本書の終わり近くで著者が警鐘をならしていることが本当であるとすれば,これは憂慮しなくてはいけない問題である.ラクイラ地震のように裁判で有罪になるなど社会的な制裁を受けて,はじめて真の意味での反省をしたという事態になってしまったら,科学の信用自体が失われてしまうことにつながりかねない.
 2011年以前に,貞観地震がひとつ前の東北地方太平洋沖地震だったことに気づいていた研究者がいたのであるから,地球科学の各分野が蛸壷化していなければ,あるいは予測が立てられたのかも知れない.蛸壷化を解消して,地球科学の総合化を進めるためには,広い分野の地球科学関係者が情報交換と議論をする場が必要だろう.それは,地球科学自体を進歩させることにもつながるに違いない.今こそ,1960年代にあった「固体地球科学研究所」構想のような,地球科学を総合化する拠点を作る必要があるのかも知れない.

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