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August 26, 2015

「学力の経済学」批判 (辛口)

学力の経済学

 『ゲームは子どもに悪影響?」「子どもはほめて育てるべき?」「勉強させるためにご褒美で釣るのっていけない?」思い込みで語られてきた教育に、科学的根拠が決着をつける!』という宣伝文句でベストセラーになっているという本.この著者の考えが教育政策に影響すると危険なので,以下で批判的に検証してみたいと思います.
 まず,「エビデンスの基づく科学的な」ということを標榜していますが,教育政策に関して「エビデンスがなく,個人的体験をもとに決めている」ということについて,エビデンスに基づいて検証していません.どこかの党の非公式ミーティングとかは別にして,21世紀になってからの教育政策はデータに基づくようになっています.本書で引用されている文科省の学力テストは,本来,教育行政用のデータをとるためのもののはずです.あとがきで,教育現場で嫌われた体験談が書いてありますが,エビデンスに基づかずに,「あなたたちの主張はエビデンスがない」といわれたら誰でも怒ります.
 データで教育政策を分析している一番の良い例が,本書でごくわずかしか引用されていないOECDの検討です.文科省もPISA型学力を重視する方針を示していますが,PISA等の学力調査を含めて,OECDはデータに基づく統計的な考察から将来の教育政策を具体的に提案しています.TEDでシュライヒャーさんのプレセンを見れば,20分で内容が理解できるので,中室さんの本の内容と比較検討すると面白いです.
 OECDの調査結果をほとんど無視して,アメリカを中心とした教育経済学の研究例だけを挙げているのは,OECDの教育政策をちゃんと検討していないのか,自分の主張が正当化されるように恣意的に調査結果を使っているか,のどちらかです.科学の世界では後者の場合は研究不正と言われます.「統計でウソをつく方法」という本があるくらいで,統計値を使って正反対の結論を導くのは難しいことではありません.
 個々の項目もつっこみどころ満載なので,以下で○×をつけながら1つずつ見て行きましょう.

1. ゲームは1時間までなら息抜きになって学力が上がる ×
 中室さんはゲームをやったことがない人のようです.一度でよいから,モンハンでもFFでもやってみるとよいでしょう.子どもの行動を知らない人が,子育てのアドバイスをしているというのは恐ろしいことです.
 勉強時間との関係でゲームが問題になるは,ゲームのしくみが,始めるとなかなかやめられないものになっているからです.1人でやって1時間ですっぱりやめられるゲームはつまらないゲームです.一度始めると,自分が納得できるところまで延々と続けてしまうのが困るのです.さらに最近のものはネットでつながってやるので,メンバーのうちのだれか1人がやめるとグループ全体の足をひっばるため,参加者がやめにくくなっているのです.中室さんが正しいかどうかを検証するためには,1時間でゲームをやめている子どもに,もっと面白いネットゲームを仲のよい友達と一緒にやってみてもらえば,どうなるか分かります.

2. 子どもはほめて育てるべきではない △
 これは,そもそも一般化して○か×かをつけられることではありません.40人のクラスを受け持ってみれば分かりますが,40人子どもがいると,40人分の個性があります.ほめるとよいのか悪いのかは,その子どもの個性によりますし,場面にもよります.保護者も教員も,それぞれの個性や場面をよく見極めてアドバイスをする必要があるはずです.
 生まれてからずっと一緒にいる保護者は,子どもの性格をよく知っているでしょうから,場面をみながらほめたりしかったりできるはずです.教員は,多くの子どもとつきあって経験を積み,それぞれの成長を見守りながら,その都度悩みつつほめたり叱ったりするのが仕事になります.ほめたり叱ったりした結果が正しかったかどうかが分かるのは,もしかすると30年後くらいかもしれませんから,その時点に一番良いと思えるように対応するしかありません.

3. ご褒美をあげると学力が上がる.×
 教育のことを調べているのに,中室さんは,教育心理学の勉強はしていないようです.教育学で,勉強の対価として外的動機づけを使うのはダメだといっているのは,外的動機づけに効果がないからではなくて,「外的動機づけてをやめると学習意欲がなくなる」「より強い外的動機づけを対価として求めるようになる」ということが,猿から人間までを含めた,いろいろな調査で分かっているからです.宿題をやったら1000円あげる,という動機づけでは,お金をもらわないと宿題をする意欲がわかない,手間のかかる宿題には2000円ほしい,ということになるのです.これに対して,内的動機づけを重視していると,外的動機づけがなくても学習が続けられるようになるので,自分で進んで勉強する人物になります.これは教職課程で教育心理学をとると,初歩で勉強することです.
 本書では,この問題を補筆のところで簡単に触れて,大人になってお金がもらえるようになると動機づけが復活するから大丈夫と書いてありますが,どのようなエビデンスに基づいているのか分かりません.本文でデメリットを挙げて検討しないのはずるいやり方です.
 エビデンスとしては,教育バウチャー制をとったイギリスで,外的動機づけを使って学力を上げようとして失敗に終わった例があります.中室さんには,この失敗の原因を教育経済学で分析をしてみて欲しいところです.

4. 少人数制でも学力は上がらない ×
 これはAkabayashi&Nakamura(2014)という文献が根拠です.原著は6ドル払わないと読めませんが,著者による解説が
http://synodos.jp/education/12530
 で読めます.本書でも述べられていますが,研究方法の基本は,40人クラスと,転勤等による人数増で偶然20人2クラスに分かれた場合で,差を統計的に比較するというものです.教育現場の対応としては,偶然2クラスに分かれてしまっても,急に教材や授業内容を大幅に変えて少人数制用にしているとは考えられません.40人クラスのときと20人のときで,同じ教材を使って同じような授業をしたら,学力の向上がそんなに変わらない,というのは当然です.たまたま20人になったクラスと,40人になったクラスで学力差がついてしまっては,保護者から批判の的になってしまいますから,むしろ,人数差の影響がでにくくなるように努力するかもしれません.
 少人数制の方が教育効果が高いと評価されているのは,40人では使えないが,20人ならできるよりよい授業方法や教材が使えるからです.これは,PISA調査の結果を使った国際比較でも確認されています.こんなことで,少人数制はお金の無駄というような教育政策を決められたのでは教育現場はたまりません.

5. 教員研修は費用対効果が低い ×
 これは教員研修の内容自体に問題があります.一時期,企業で流行った自己啓発活動と同様で,質の悪い研修が費用対効果が低いのは当然です.日本において,本当に教員のスキルアップを担っているのは民間の教育研究団体です.理科でいうと,科教協や仮説実験授業研がその役割を果たしています.中室さんも民間の教育団体の研究集会に行ってみるとよいでしょう.教員同士が情報交換をしあう,効果のある質の高い研修を受けたか,受けないか,で経済学的な分析をしてみて欲しいところです.もっとも民間の教育研究団体は参加費は自腹です.

6. 教員免許を廃止すると,質のよい人材が集まって教員の実力が上がる ×
 「授業をする」ということの専門性を無視しています.最近はそうもいかなくなってきていますが,少し前までは大学教員は授業スキルは問われず,最先端の研究ができて,その内容を伝えれば,最高学府での勤めは果たせたわけです.そこで,大学教員の中には「自分は優秀だから,小学校へ行っても授業ができる」と思っている人がいるのですが,研究がうまいのと,小学生に授業をするのとは全く別の知識とスキルが必要です.中室さんは,1回の授業や1つの教材を作るために,教員がどのくらい努力をしているか知らないようです.
 教員養成に関しては,教員養成系出身でなくても,教職課程を取ることでその専門性を確保していますし,教育実習や教員採用試験というフィルターがかかっています.専門科目に加えて教職課程をとって,介護実習やボランティアに行く,というのは相当の負担ですが,それでも教員を目指す,という人材が必要なのではないでしょうか?
 塾や予備校で教員免許を持っていない人が授業ができるのは,「入試でよい点をとるための技術を身につける」という分かりやすい目標があり,それに特化した講座ができるからです.また,高額の授業料を払っていて,生徒側も合格したい気持ちが強く,モチベーションが高いので,授業効果が出るのはある意味当然です.塾や予備校の講師の中にも,学問の本質的なところまで授業ができる本当に優秀な人材は存在しますが,そういう人は営利企業では「カリスマ塾教師」などと言われて宣伝材料になるくらい少数です.
 大工の修行をしなくても,自分で家を建てることができる人はいますが,その人にお金を払って家を建ててもらう,という話にならないのと一緒です.

 Amazonの書評にも書いてありますが,本書の主張の一部を認めるとしても,これは統計の世界の話なので,教育の政策決定の議論材料にはなっても,個々の子どもや家庭に当てはめるべきではありません.また,アメリカの研究事例が正しいのであれば,アメリカの教育政策はとてもすばらしいものになっているはずですが,残念ながらOECD調査では,そのような傾向は見ることができません.日本以上に学力格差が開いているのが現状です.
 慶応大学は教育政策に影響力の大きい大学なので,この本の内容が日本の教育政策に大きな影響を与えないことを切に望みます.

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