August 26, 2015

「学力の経済学」批判 (辛口)

学力の経済学

 『ゲームは子どもに悪影響?」「子どもはほめて育てるべき?」「勉強させるためにご褒美で釣るのっていけない?」思い込みで語られてきた教育に、科学的根拠が決着をつける!』という宣伝文句でベストセラーになっているという本.この著者の考えが教育政策に影響すると危険なので,以下で批判的に検証してみたいと思います.
 まず,「エビデンスの基づく科学的な」ということを標榜していますが,教育政策に関して「エビデンスがなく,個人的体験をもとに決めている」ということについて,エビデンスに基づいて検証していません.どこかの党の非公式ミーティングとかは別にして,21世紀になってからの教育政策はデータに基づくようになっています.本書で引用されている文科省の学力テストは,本来,教育行政用のデータをとるためのもののはずです.あとがきで,教育現場で嫌われた体験談が書いてありますが,エビデンスに基づかずに,「あなたたちの主張はエビデンスがない」といわれたら誰でも怒ります.
 データで教育政策を分析している一番の良い例が,本書でごくわずかしか引用されていないOECDの検討です.文科省もPISA型学力を重視する方針を示していますが,PISA等の学力調査を含めて,OECDはデータに基づく統計的な考察から将来の教育政策を具体的に提案しています.TEDでシュライヒャーさんのプレセンを見れば,20分で内容が理解できるので,中室さんの本の内容と比較検討すると面白いです.
 OECDの調査結果をほとんど無視して,アメリカを中心とした教育経済学の研究例だけを挙げているのは,OECDの教育政策をちゃんと検討していないのか,自分の主張が正当化されるように恣意的に調査結果を使っているか,のどちらかです.科学の世界では後者の場合は研究不正と言われます.「統計でウソをつく方法」という本があるくらいで,統計値を使って正反対の結論を導くのは難しいことではありません.
 個々の項目もつっこみどころ満載なので,以下で○×をつけながら1つずつ見て行きましょう.

1. ゲームは1時間までなら息抜きになって学力が上がる ×
 中室さんはゲームをやったことがない人のようです.一度でよいから,モンハンでもFFでもやってみるとよいでしょう.子どもの行動を知らない人が,子育てのアドバイスをしているというのは恐ろしいことです.
 勉強時間との関係でゲームが問題になるは,ゲームのしくみが,始めるとなかなかやめられないものになっているからです.1人でやって1時間ですっぱりやめられるゲームはつまらないゲームです.一度始めると,自分が納得できるところまで延々と続けてしまうのが困るのです.さらに最近のものはネットでつながってやるので,メンバーのうちのだれか1人がやめるとグループ全体の足をひっばるため,参加者がやめにくくなっているのです.中室さんが正しいかどうかを検証するためには,1時間でゲームをやめている子どもに,もっと面白いネットゲームを仲のよい友達と一緒にやってみてもらえば,どうなるか分かります.

2. 子どもはほめて育てるべきではない △
 これは,そもそも一般化して○か×かをつけられることではありません.40人のクラスを受け持ってみれば分かりますが,40人子どもがいると,40人分の個性があります.ほめるとよいのか悪いのかは,その子どもの個性によりますし,場面にもよります.保護者も教員も,それぞれの個性や場面をよく見極めてアドバイスをする必要があるはずです.
 生まれてからずっと一緒にいる保護者は,子どもの性格をよく知っているでしょうから,場面をみながらほめたりしかったりできるはずです.教員は,多くの子どもとつきあって経験を積み,それぞれの成長を見守りながら,その都度悩みつつほめたり叱ったりするのが仕事になります.ほめたり叱ったりした結果が正しかったかどうかが分かるのは,もしかすると30年後くらいかもしれませんから,その時点に一番良いと思えるように対応するしかありません.

3. ご褒美をあげると学力が上がる.×
 教育のことを調べているのに,中室さんは,教育心理学の勉強はしていないようです.教育学で,勉強の対価として外的動機づけを使うのはダメだといっているのは,外的動機づけに効果がないからではなくて,「外的動機づけてをやめると学習意欲がなくなる」「より強い外的動機づけを対価として求めるようになる」ということが,猿から人間までを含めた,いろいろな調査で分かっているからです.宿題をやったら1000円あげる,という動機づけでは,お金をもらわないと宿題をする意欲がわかない,手間のかかる宿題には2000円ほしい,ということになるのです.これに対して,内的動機づけを重視していると,外的動機づけがなくても学習が続けられるようになるので,自分で進んで勉強する人物になります.これは教職課程で教育心理学をとると,初歩で勉強することです.
 本書では,この問題を補筆のところで簡単に触れて,大人になってお金がもらえるようになると動機づけが復活するから大丈夫と書いてありますが,どのようなエビデンスに基づいているのか分かりません.本文でデメリットを挙げて検討しないのはずるいやり方です.
 エビデンスとしては,教育バウチャー制をとったイギリスで,外的動機づけを使って学力を上げようとして失敗に終わった例があります.中室さんには,この失敗の原因を教育経済学で分析をしてみて欲しいところです.

4. 少人数制でも学力は上がらない ×
 これはAkabayashi&Nakamura(2014)という文献が根拠です.原著は6ドル払わないと読めませんが,著者による解説が
http://synodos.jp/education/12530
 で読めます.本書でも述べられていますが,研究方法の基本は,40人クラスと,転勤等による人数増で偶然20人2クラスに分かれた場合で,差を統計的に比較するというものです.教育現場の対応としては,偶然2クラスに分かれてしまっても,急に教材や授業内容を大幅に変えて少人数制用にしているとは考えられません.40人クラスのときと20人のときで,同じ教材を使って同じような授業をしたら,学力の向上がそんなに変わらない,というのは当然です.たまたま20人になったクラスと,40人になったクラスで学力差がついてしまっては,保護者から批判の的になってしまいますから,むしろ,人数差の影響がでにくくなるように努力するかもしれません.
 少人数制の方が教育効果が高いと評価されているのは,40人では使えないが,20人ならできるよりよい授業方法や教材が使えるからです.これは,PISA調査の結果を使った国際比較でも確認されています.こんなことで,少人数制はお金の無駄というような教育政策を決められたのでは教育現場はたまりません.

5. 教員研修は費用対効果が低い ×
 これは教員研修の内容自体に問題があります.一時期,企業で流行った自己啓発活動と同様で,質の悪い研修が費用対効果が低いのは当然です.日本において,本当に教員のスキルアップを担っているのは民間の教育研究団体です.理科でいうと,科教協や仮説実験授業研がその役割を果たしています.中室さんも民間の教育団体の研究集会に行ってみるとよいでしょう.教員同士が情報交換をしあう,効果のある質の高い研修を受けたか,受けないか,で経済学的な分析をしてみて欲しいところです.もっとも民間の教育研究団体は参加費は自腹です.

6. 教員免許を廃止すると,質のよい人材が集まって教員の実力が上がる ×
 「授業をする」ということの専門性を無視しています.最近はそうもいかなくなってきていますが,少し前までは大学教員は授業スキルは問われず,最先端の研究ができて,その内容を伝えれば,最高学府での勤めは果たせたわけです.そこで,大学教員の中には「自分は優秀だから,小学校へ行っても授業ができる」と思っている人がいるのですが,研究がうまいのと,小学生に授業をするのとは全く別の知識とスキルが必要です.中室さんは,1回の授業や1つの教材を作るために,教員がどのくらい努力をしているか知らないようです.
 教員養成に関しては,教員養成系出身でなくても,教職課程を取ることでその専門性を確保していますし,教育実習や教員採用試験というフィルターがかかっています.専門科目に加えて教職課程をとって,介護実習やボランティアに行く,というのは相当の負担ですが,それでも教員を目指す,という人材が必要なのではないでしょうか?
 塾や予備校で教員免許を持っていない人が授業ができるのは,「入試でよい点をとるための技術を身につける」という分かりやすい目標があり,それに特化した講座ができるからです.また,高額の授業料を払っていて,生徒側も合格したい気持ちが強く,モチベーションが高いので,授業効果が出るのはある意味当然です.塾や予備校の講師の中にも,学問の本質的なところまで授業ができる本当に優秀な人材は存在しますが,そういう人は営利企業では「カリスマ塾教師」などと言われて宣伝材料になるくらい少数です.
 大工の修行をしなくても,自分で家を建てることができる人はいますが,その人にお金を払って家を建ててもらう,という話にならないのと一緒です.

 Amazonの書評にも書いてありますが,本書の主張の一部を認めるとしても,これは統計の世界の話なので,教育の政策決定の議論材料にはなっても,個々の子どもや家庭に当てはめるべきではありません.また,アメリカの研究事例が正しいのであれば,アメリカの教育政策はとてもすばらしいものになっているはずですが,残念ながらOECD調査では,そのような傾向は見ることができません.日本以上に学力格差が開いているのが現状です.
 慶応大学は教育政策に影響力の大きい大学なので,この本の内容が日本の教育政策に大きな影響を与えないことを切に望みます.

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May 05, 2015

書評 捏造の科学者

 宿題だった,須田桃子さんの,「捏造の科学者 STAP細胞事件」をようやく読了.荷物が多い移動中でも持ち歩けるので,Kindle本に入れてもらったのはありがたかった.
 「パラダイム」という言葉を発明したトーマス・クーンは,元々は物理学を専攻していたが,残念ながら科学のフロンティア研究は体験していなかった.そこで,科学には,パラダイム転換の時期とパラダイムを使って「通常科学」をする時期とがあると考えた.しかし,科学者たるものはフロンティアの研究がしたいし,できればコペルニクスやニュートンのようにその分野の常識をちゃぶだい返しする「パラダイム転換」を狙っているものである.クーンはパラダイム転換期以外では,科学者は「通常科学」というパズル解きをして満足していると考えたが,そんなことをしたい科学者はあまりいない.運やチャンスに恵まれず,結果的に通常科学になってしまっているだけのことである.クーンは,この点の分析を間違ってしまったのだ.科学者が持つ「コペルニクスになりたい」という欲求に潜む危険性を,「パラダイムの悪魔」と命名しておこう.
 STAP細胞問題は,革命的な提案ほど厳しい追試を受ける,ということが分かっていながら,なぜ「捏造の科学者」になってしまったのか,というところが最大の謎だった.近代科学の基本的な方法の一つが,ガリレオの編み出した仮説演繹法で,いかなる仮説も追試という「踏み絵」を踏まなくてはいけない,というのがルールであることは,いかにトレーニング不足の博士号所持者でも分かっているはずだからだ.
 そうした場合,「捏造があっても追試に耐えられる」という予想が仮にあったとすると,
①証明として不十分な点はあるが,ほぼ実現可能で追試での成功確率が高いと見込まれる
②公表した追試条件以外に提唱者のみが知っている要素があり,その部分のデータを捏造によって隠すことで,技術開発上優位に立ちたい
ということが考えられる.
 中学生たちが「スタップ細胞はあります!」という声物真似をするぐらい,STAP問題は若い人たちには周知のこととなっており,実際,中高生から「理科教員としては信じられるのかどうか」ということをしばしば聞かれた.個人的には「STAP細胞作成にはコツがある」という話からして②なのではないかと予想して,質問には「多分,STAP現象というのはあるのだろうが,(その時点ではひどい捏造があったことは報道されていなかったので)証明不十分で世に問うたのが間違いだったのではないか」と答えていた.本書の結論としてはSTAP現象というのは影も形もないということなので,この問題についての私の予想は間違っていた.質問してくれた中高生にはこの場を借りてお詫びしたい.
 本書では,関係者と記者との生のやりとりを読むことができるが,「あるといいなと思った」という述懐が象徴するように,小保方氏を筆頭として,笹井氏,若山氏,および竹市氏などの主人公は,「パラダイムの悪魔」に魅せられてしまったのだ,という印象を持った.須田さんをはじめ,科学部の記者に方たちは,できれば科学ジャーナリストとしてそのあたりの取材をして,結果を公表して頂けると「パラダイムの悪魔」を防ぐための方略のヒントが得られるのではないかと思う.そのためには,まず捏造の真相を明らかにすることだ,という本書の主張は正しいと考えられる.
 須田さんは,早稲田の理系女なので,小保方さんの登場には,卒業生として期待を持たれたことと拝察され,その後の経緯,特に早大の対応については落胆されたことが想像される.私を含めて,OBOGとしては早稲田の建学精神に鑑みて「何やってんだ」と思った人は多いと思う.組織防衛でうじうじ屁理屈をこねるのでは,「学の独立」という建学の精神を守ることはできないだろうから,大隈公もさぞかし怒るであろう.是非,早大の発信を世の中が信じてもらえる体制を構築して欲しい.

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August 03, 2014

書評 「地震予知」の幻想

黒沢大陸・著: 「地震予知」の幻想

 著者は火山学専攻の朝日新聞記者で,3.11に関連したルポとして,ジャーナリストの方だからこそできる,いろいろな現場の空気や関係者のインタビューの内容を知ることができる.この本は科学史にとっても重要な記録となるものと思う.以下に,読後に考えたことを少しまとめておきたい.
 今村明恒による関東大震災の予想以来,地震学者の目標としても,社会的な要求としても,「地震予知ができるのではないか」ということは常に考えられてきた.地震予知ができれば,たくさんの人命と社会資本が助かるから,地球科学の使命と考える人がいてもおかしくはない.
 現在の地震予知のルーツとなった地震予知計画のブループリント作成の頃は,地球科学の中心理論となるプレート・テクトニクスの構築が始まっていた時代であった.「地震がなぜそこで起こるのか」ということは,それまでは曖昧な説明しかできなかったが,プレート・テクトニクスではそれが明快に説明できた.普通,物理学では,自然現象を説明できるモデルができれば,そのモデルに基づいて,その現象についての予測・予知ができると考える.例えば,物体の運動についてF=maという式でモデル化ができれば,未来の物体の運動を計算して予測することができる.基本は物理学者である地震学者が,将来は予知可能と思ったのは自然な流れであった.本書の,地震予知の「幻想」というタイトルは,まさにこの部分を表現していると考えられる.当時の関係者で存命の方は少ないが,予知可能性についてどのように考えていたのか,掘り下げる調査が欲しいところである.あるいは,この仕事は科学史家がやらなくてはいけないことかもしれない.
 残念ながら,地震学者の期待と異なり,地震は単純な物理学モデルで近似できるような対象ではなかった.前に書評で書いた金森先生の「巨大地震の科学と防災」で示されていたように,同じプレート境界型地震でも地域によって地震の性質は違っていて,単純なモデルでは説明できない.地球を作る岩石は,複雑な組織・組成・物性を持つもので,それが変形・破壊されるときの物理学も簡単ではない.地球物質の性質は,その化学的な性質の幅や経てきた歴史によって変わるから,物理学だけでなく,地球化学,地質学などの知見を総合しないと得られない.20世紀の間は,これらの学問間の総合化は不十分で,地震の物理学的なモデルは予知が可能なレベルには達しなかった.
 都城先生の分析では,地球科学は「複合構造理論」の特徴を持つとされていて(都城,1998),複数の分野の理論を総合して,地球という惑星を理解・説明しようという科学のはずである.都城先生の活動した時代は,地震学と地質学の間に高い壁はあったものの,現在と比べると未分化で,当時の研究者は幅広い興味関心や知識を持っていた.例えば,杉村 新先生は,地質学者であっても,地球物理,火山,岩石学のデータをコンパイルして,日本列島の地球科学的な描像に迫っていた.また,1960年頃には,総合化して「固体地球科学研究所」という1つの共同利用研究所を作ろうという考え方もあった(宮下ほか,2011 ).しかし,本書を読むと,現状では,地球物理学,歴史地震学,津波,地質学などの研究者が,蛸壷化したそれぞれの分野の中で活動していて,互いに,自分の専門以外の別の分野に無関心であったことがよくわかる. 
 ただ,地震予知に関しては,本書で詳しく紹介されているように,そのような総合化ができて,ある程度のレベルのモデルが作れたとしても,予測あるいは予知の要素である場所・日時・規模は,確率的に決まるパラメータてあるので,そもそも予測・予知をすること自体がナンセンスであるという考え方もある.鉛筆に,その強度を超える力を加えれば折れるにきまっているが,いつ,どのように折れるかは計算ができないのと同じだというのである.
 ところが,学問分野での検討とは乖離した形で,「地震が予知できるかもしれない」ということに対する期待は大きくなってしまった.本書を読むと,一般社会では,東海地震の予知を前提とした大震法の制定以降,そうした考え方が広まったことが分かる.一般の人には,大震法の対象である東海地震と,対象外の地震の区別はつきにくい.切迫している東海地震でお金をかけて予知できるようにしているから,その他の地震もお金をかけて観測網を整備すれば予知できる,というのは当然の考え方である.本書の中で描かれている政治家や地震予知にかかわらない行政関係者の反応は,そうした考え方の延長にあると思われる.
 社会に与える影響が大きい分,地震学者に対する社会の期待は大きかった.地震学者たちも,期待に応えるべく研究を進めてきた.だが,2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)については,予知どころか予測すら出されていなかった.災害は,いつも新しい顔をしてやってくる」というが,地震学者にとって,東日本大震災は,「新しい顔」をしていたのだろうか? 本書では,東北沖の太平洋プレートの沈み込み帯では,宮城県沖などのM8程度の震源域に分かれてプレート境界型の地震が起きるというモデルのみを考えていて,これらの震源域が連動して動くというモデルは想定していなかったということになっている.しかし,東大のゲラー教授も指摘しているように,東北地方の歴史地震記録や,2004年のスマトラ沖地震などの巨大地震の経験から,複数の震源域が連動して動くことはある程度想定ができたはずである.
 本書の冒頭で描かれているように,地震学者たちが,前述のような足元の危機に気づくことができなかった不明を恥じて反省したのは,その通りなのだろう.だが,本書の終わり近くで著者が警鐘をならしていることが本当であるとすれば,これは憂慮しなくてはいけない問題である.ラクイラ地震のように裁判で有罪になるなど社会的な制裁を受けて,はじめて真の意味での反省をしたという事態になってしまったら,科学の信用自体が失われてしまうことにつながりかねない.
 2011年以前に,貞観地震がひとつ前の東北地方太平洋沖地震だったことに気づいていた研究者がいたのであるから,地球科学の各分野が蛸壷化していなければ,あるいは予測が立てられたのかも知れない.蛸壷化を解消して,地球科学の総合化を進めるためには,広い分野の地球科学関係者が情報交換と議論をする場が必要だろう.それは,地球科学自体を進歩させることにもつながるに違いない.今こそ,1960年代にあった「固体地球科学研究所」構想のような,地球科学を総合化する拠点を作る必要があるのかも知れない.

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December 29, 2013

書評 巨大地震の科学と防災

巨大地震の科学と防災 朝日選書912 朝日新聞出版

 瀬川茂子さん(朝日新聞)と林能成さん(関西大准教授)が,金森博雄・カリフォルニア工科大学名誉教授のインタビューを元に構成した本.金森先生の地震学について自ら語る,というオーラルヒストリーになっている.瀬川さんたちが科学ジャーナリストとして一流ということもあるだろうが,一流の科学者が自分の仕事を語ると,数式等は一切使われていないにもかかわらず,分かりやすい科学的な説明になるという良い例だろう.
 全体を通じて,地震波形を理論と観測の両面から攻めて地震の物理に迫るという手法は一貫しており,これが金森地震学の真髄ということが分かる.自然の多様性を重視するという観点も,都城秋穂先生の哲学にも共通するように思う.理論的なモデルの限界をよく知り,観測データに基づいてモデルを柔軟に改良していく,という方針が明快で,高校生を含め,これから科学の道に入る若い人にとっても有用だろう.
 プレートテクトニクスの成立については,「地球科学の革命」とか,「思想の転向を強いられた」とか,大げさな表現をする人もいますが,私にとっては特別な出来事であったとか研究の方針が劇的に変化したという認識はありません.」(p.47),という表現で,アメリカで地球物理の研究をしていた人には自然なことだったと述懐されていることが印象的だった.
 金森先生は,純粋に地震の理学をやっていると思っていたのだが,防災についても心を砕いておられたことを読んで,認識を新たにした.

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November 03, 2013

書評 図解プレートテクトニクス入門

図解プレートテクトニクス入門 ブルーバックス 講談社 2013年


 プレートテクトニクスについて読み下して分かるという普及書には,深尾良夫氏の「地震・プレート・陸と海」があるが,1985年の出版なので,その後の進歩を入れたものが少ないのは確かだった.ブルーバックスから出た本書は,最近の進歩を含むものとして期待したのだか,残念ながらやや難がある.
 著者の一人である大木勇人氏は,物理系の人なので,地球科学を扱う際に物理系の人がよくやる過度の簡略化をしている.また,歴史的な事実などの扱いについては,一次文献にあたることなく,伝聞や他の書籍からのまた引きで書いているようで,正確ではない表現が見られる.
 また,「図解」といいつつ,断面図が多く,見慣れていない人には読み解くのは難しいと思われる.
改訂時に改善されることを期待して,以下,気になった点を挙げておく.

・p4 たいていの人は最初,「プレートの下はドロドロのマグマ」という誤解をしています.
→どのような調査データに基づいているのか不明? 著者の体験か,感覚的なものなら,こう言い切るのはどうか? 「外核は液体」というと,マグマのソースは外核と思う人がいるのは確かだが,地球の中が石でできていて硬いというほうが一般的ではないか.

・p5 1990年代から日本を中心とした研究で,地震波をもとにした地球内部の状態を表す画像の作成に成功し,
→多分,深尾良夫氏の一連の研究をさしているものと思われる.しかし,全球トモグラフィーは,本当に「日本を中心とした研究」か? 

・p15 《陸橋》というのは,なかなか奇妙な概念です.
→パナマ地峡によって南北アメリカ大陸がつながっていることは常識.ベーリング海峡が氷河期には海水準の変動によって陸橋となり,それを通じてアジア大陸とアメリカ大陸とで動物の行き来があった.だから,大陸が細長い陸地によってつながるという陸橋は,実例があって奇妙な概念ではない.

p19 寺田寅彦が1920年代に大陸移動説を紹介した記録がある.
→大陸移動説について日本に紹介したのは,山崎直方や藤原咲平の方が早い(谷本,1991)

p23 大陸は《シアル》という軽い岩石でできているため,それより重く流動性のある《シマ》の表面よりも浮かび上がっており,そのため大陸と海洋底に段差ができる―と説明してみせました.
→シアル,シマは,本当にヴェーゲナーが初めて使ったのか? 

p26~p27 アイソスタシーは,アルキメデスの原理を使ったシンプルな原理として受け入れやすいと思います.
→アイソスタシーはアルキメデスの原理で浮力を計算するのではなく,静水圧平衡で求めたほうが分かりやすい.圧力については,中学1年の理科で扱うので,中学生2年生以上であれば既習.

p35 1957年大陸移動を示唆する磁極移動経路のずれの発見(ブラケットとランコーン)
→Blackett (Blackett et al., 1960)の方は伏角変化なので,移動曲線ではない.

p49 1968年から始まったアメリカの深海底掘削計画では,海底をつくる岩石の放射性年代測定が行われました.海洋底の岩石の年齢は,海嶺ではまだできたばかりで新しく,海嶺から遠ざかるにつれて古くなっています.
→斉藤常正氏の一連の成果も入れて欲しい.岩盤直上の堆積物の微化石年代と放射年代を合わせて,海洋底の年代が分かった.

p57 一方で日本には,地震学の方面から,プレートの存在を暗示していた独自の研究がありました.
→和達-ベニオフ面だけでなく,杉村(1958)のスラブ概念も入れて欲しい.

p60 一つ一つの鉱物は,ほぼ一様な物質であり,
→組成変化するので「一様な物質」とはいえない

p66硬いはずの鉱物が塑性変形するしくみについては,1980年代に日本の研究者によって研究され,解明されました.
→唐戸俊一郎氏の一連の研究をさしているものと思われる.しかし,鉱物の塑性変形のしくみは長い研究の歴史がある.

p73 また,sphereとは,ピンポン球の殻のような球殻のことです.
→ピンポン球の殻? 球殻というのは一般的な言葉ではないので,図が欲しい.

p77 海洋地殻の上層は,主にこの枕状溶岩と呼ばれる形態の玄武岩で覆われるようになります.
→海洋地殻上層は,主に枕状溶岩か? 

p78 本書では簡単にするため,これも含めて海洋地殻は玄武岩と記述することにします.
→玄武岩質,という用語の方がよいのではないか? 「玄武岩質」は,マグマの性質としては使っている.

p79 このような物質をより分ける「分化作用」は,地球のさまざまなところに見られます.
→熱水鉱床を作る作用を「分化作用」とは言わない.

p82 また,水とはいったも冷たい水ではなく,地下の超高圧のため,数百℃から1000℃の高温になっても沸騰せずにいる熱水です.
→超高圧で数百℃なら超臨界状態になっているので液体ではない.他のところは説明がていねいなので,この部分も高温高圧の水は液体ではないことをきちんと説明してほしい.

p88 地震波が遅くなるのは,この深さでマントルがとくにやわらかくなっていることを示し,
→地震波が遅くなると,なぜやわらかいことが分かるのか,という説明はここまでなかった.

p89 玄武岩質マグマを出した溶け残りマントル(ハルツバージャイト)
→ハルツバージャイトが何か特殊な岩石のように見える.ハルツバージャイトもかんらん岩の一種であることを示した方がよい.

p111 相転移した玄武岩は,エクロジャイトとよばれます.
→玄武岩=エクロジャイトのように見える.鉱物組み合わせから見ても,全く別の岩石.なぜ密度が大きくなるのか説明が欲しい.

p111-112 上部マントルのかんらん岩をつくる主な鉱物であるオリビンは,深さ約410kmより深いところでは相転移して「スピネル構造」と呼ばれる
→相転移という概念は難しい.図解がうりものの本なのだから,オリビンとスピネルの構造の違いを図示してほしい.同様にp113のペロブスカイト構造も見せたい.

p116 この命名は,日本に関心があったアメリカの学者によるものです.
→p43でハリー・ヘスを紹介しているので,これはヘスのものであると書いてもよいのではないか.

p118 ホットスポットの根もとは,プレートやマントルの動きに流されない,独立した位置にあると想像されます.
→とすると,マントル内部に根もとがあるかも知れないとする説をこの前に紹介するのは変.この記述の通りならD’’層か,外核表面に根もとがあるはず.

p132 この線を火山フロント(火山前線)と呼びます.
→これまで日本人の貢献を示してきているので,火山前線が杉村新氏(杉村,1959)の命名であることを書いて欲しい.

p133 もっとも結晶分化作用が進んだ後のマグマは,かこう岩質マグマ(あるいは流紋岩質マグマ)とよばれ
→この書き方では,かこう岩は玄武岩質マグマの結晶分化作用だけでできるように見えてしまう.実際にはこのしくみでできるのは,ごくわずか.

p134両者の中間のマグマもありますが,本書では玄武岩質とかこう岩質だけにしておきましょう.
→これは乱暴.沈み込み帯を扱っているのだから,安山岩質マグマの方がむしろ重要.

p136圧力,および面をずらす力のはたらきを合わせた力の作用を,応力と言います.
→応力には,いくつかの定義のしかたがあるが,構造地質学的には「 物体を変形する,または変形するように働く力」というのがよい.褶曲を作るのも応力だから,「面をずらす力をいう」という記述は間違い.

p136 日本のようなプレートの収束帯は,プレート同士が押し合う場所であるため,逆断層が多いからです.
→日本では,逆断層の方が多いか? これはどのようなデータに基づいているのか?

p143 図6-11飛騨帯は4億年より前の大陸地殻
→飛騨帯は,古い大陸地殻ではない.

p168 海洋よりも厚い地殻,しかも玄武岩ではなくかこう岩の地殻をもつことです.
→大陸地殻は「かこう岩質」

p183 数字が1大きくなると,エネルギーは約32倍になるという関係があり,
→Mが2違うと1000倍違う,という関係の方が正確.

p195 図8-8
→杉村(1958)のスラブの図が欲しい.

p193 「波」とはいっても,通常海岸に打ち寄せる波とは性質が大きく異なります.
→津波の図だけではなく,普通の海の波の図と対照させると違いが分かりやすい.

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July 03, 2013

科学を語るとはどういうことか

科学を語るとはどういうことか」を読了.科学哲学関係の本なのに,さらっと読めるものであるというだけでもお勧め.
 須藤さんが,伊勢田さんの術中にどんどんはまっていく様子が面白い.なにせ哲学者は2500年の間,議論を鍛えてきているのだから,この程度は朝飯前だろう.
 須藤さんは,科学論や科学哲学は自然科学にとって役に立たないと思っているらしいが,「演繹で新しいことを加えることはできない」とか「枚挙的帰納法の弱点は斉一性が前提となっていること」といった程度のことでも,はっきり示してくれることは,初学者には役に立つ.科学の失敗事件を見ていると,こうした初歩的なところでつまずいている例がたくさんあるからだ. この本では触れられていないが,天文学や地質学のように歴史科学の性質をもつもので,どうして「説明」が成り立つのか,という議論も傾聴に値する.一番基本の「科学とは何か」ということも,残念ながら須藤さんの考えは浅い.「科学とは何か」ということが一筋縄ではいかない,ということを示す点でも科学論・科学哲学は深い考察を持つ.
 一方で,N家氏のように,「準惑星の定義は会議で決めたのだから,科学の成果は社会構成産物」などというアホな揶揄をする人もいるから,いくら伊勢田さんが弁護しても,科学哲学に毒があるということも事実.
 せっかくなので,天文対話のザグレドように,両者の間をいく人物を一人入れて交通整理をすると,もっと面白い本になったかも知れない.

追記: 須藤さんが頭にきた書評というのはこれらしい → 人間的自由の行方 髙山守『因果論の超克――自由の成立にむけて』に寄せて 野家啓一

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January 15, 2012

「科学的思考」のレッスン

戸田山さんの「科学的思考」のレッスンを,しばらく前に読了.著者に直接質問してみようか,などと思っているうちに,時間がたってしまったので,ひとまずメモ.

科学哲学の基本を,あまり術語をつかわずにやさしく解説し,これをどのように原発事故問題などの現実に活かしたらよいか,という提案をしている.「哲学」というと実学の反対語みたいで役にたたなそうだが,そんなことはないということを.戸田山さんらしく,ユーモアも入っていて飽きさせない展開で語っている.「科学的リテラシー」を持った市民が,トランスサイエンスの問題について主体的に判断しなくてはならない,という主張で,そのために「メタ科学」についての知識が必要なのだと.
#術語まるだしで要約するとこう?

著者があとがき書いているが「書き足らないところ」というのは,「では,その主体的な判断方法については,哲学はどのような解決を提案できるのだろうか」というところなのではないかと思う.戸田山さんがどう考えているのか,チャンスがあったら質問してみよう.

以下,つっこみのメモ
・副題が,「学校で教えてくれないサイエンス」だが,私のところでは教えている.ここでガリレオが使っているのは「仮説演繹法」という推論方法です,などという形.学習指導要領に忠実だと,学校教育の「理科」は「自然科学」を教えることが目的ではないので,たしかに従来は「メタ科学」については授業されていない.ただ,いわゆるPISA的学力観では,メタ科学が身についていることをモロに要求されるので,これからは重視されるポイントになると思われる.

・伊勢田さんもつっこんでいるが,p47 地向斜説は,「ある政治的理由により日本では非常に影響力をもった説明」は,泊さんの本が根拠と思われるが,地質学の中心理論が地向斜説だったのは世界中そうだった.1960年頃までの科学の教科書は,外国のものを含めてこれで説明してある.日本でプレートテクトニクスが学校の教科書に登場するのは,当時の文部省教科書調査官のかたの努力で,海外と比較しても遅れているというわけではない.泊さんの本に書いてあるのは地質学の研究者コミュニティの中のできごとである.しかも,「政治的理由」だけではなくて,それと対立する地質学の研究者の中でも強く反対する主導者がいたことも,プレートテクトニクス受容の遅れに大きな影響があったはず.敵の敵は味方という構図があった.

・p91 クーロン力が距離の二乗に反比例するのを見出すのに万有引力と比較するという例を「類推」としている.自分で勉強していく場合,こういう理解になるかも知れないが,物理学的には別の説明になるだろう.中心点から放射したり働いたりする場合,その影響は距離の二乗に反比例するので,万有引力,クーロン力,磁力,あるいは点光源からの明るさなどは全部そうなるからだ.中心から四方八方に広がれば,距離の二乗に反比例する式が立つ.

ちなみに,伊勢田さんの書評はここ.クリティカル・シンキングを講義している人だけあって,細かいところまでつっこむのはさすが.

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